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りぼん&りぼん
投稿日:2012年11月04日 投稿者:ribbonn コメント数:0件

11月9日放送 PM8:45~9:00

 発電所を通り 貯水池をすぎると鹿屋営林署垂水支所に出ます。

ここは新御堂内野で冷泉内野の温泉(湯の谷)に 小さな部落がむかしからありました。

刀剣山が近く 高く聳え立って、おおいかぶさるように迫っていました。のこぎり型になった その頂きに、山裾の谷川の霧が垂れこめている様子は、墨絵を見るようで、それは それは いい眺めでした。

 左手の山裾を登る途中に畑がありました。その崖下の岩をえぐった中に直径30センチ位の丸い石があり、その石は何もない丸い石でしたが、村の人たちは昔からその石を観音様として大切に祀ってきました。

この観音様の丸い石が赤くなると、必ず洪水が起こるという、言い伝えが この村に伝えられてきました。

 ある日 この村に住む一人のいたずら者が 村人を からかってやろうと思い ある夜 密かに この観音様の顔に朱を塗って 知らん顔をしてみんなの様子をうかがっていました。

そんな事とは つゆ知らない村人が これを見つけて驚き

「大変だー!観音様の顔が赤くなっているぞー!」と村中を叫びまわりました。いつもは静かな この村に嵐が起きたかのような騒ぎに なってしまいました。

あるものは観音様のところへ飛んで行ったり、あるものはの山に働きに行っている者を呼び返したり、上を下への大騒ぎとなってしまいました。みんなは家財道具をまとめ、牛や馬をひいて高いところへ避難しました。

 それを見て大喜びしたのは、あの いたずら者です。村人たちの大混乱を見て腹を抱えて面白がりました。

「あはは はは面白い、面白い。騙されたとも気づかずに、あんなに慌てて逃げている。馬鹿な奴らだ。いく日避難するつもりだろう。どれ、俺は昼寝でも しようかな。」と せせら笑いを浮かべて ゴロリと横になりました。

 ところが、その日の夜半から にわかにバケツをひっくり返したような ものすごい雨が降り始め 雷鳴を伴う ものすごい稲光が鳴り響きました。大粒の雨はひっきりなしに大地をたたきつけます。

行く時間 降り続いたでしょうか。突然「ドドーッ」ものすごい地鳴りがしたかと思いと「ゴォーザザザァーッ」と大洪水が逆巻いてきました。。川も道も大地も。そして家々も村中残らず洗い流してしまったのです。あっという間の出来ごとでした。

 あの いたずら者?勿論助かるわけもなく、全てのものと一緒に流されてしまいました。いたずら者のお陰で村人は避難していたので全員助かりました。

村人はこの観音様を さらに大事に祀るように なったということです。

 おしまい

 

 

投稿日:2012年09月25日 投稿者:ribbonn コメント数:0件

2012.10.12(金)夜8時45分からFM垂水(77.7Hz)で放送されます。

むかし 桜島のあたりに 鱶(ふか)九郎という人さらいがいました。このあたりの美しい娘を さらっては あちこちの港に売りさばいていました。いつも手下を十数人連れて 今日は東、明日は西に突然現れては娘をさらっていくのです。人々は 大層恐れていましたが どこに住んでいるのか どんな顔をしているのか知る人は全くなく、ある人は遠く離れた島に住むと言い、ある人は近くの人も入らぬ入り江だろうと、口々に噂をしあっているだけでした。

 ある月のきれいな夜のことでした。鱶九郎一族は、どこで さらってきたのでしょうか十二人の娘を乗せて、夜中に船を出しています。船の中では娘たちは泣き続けましたが その泣き声は波の音と櫓を漕ぐ音にかきけされました。その娘たちを乗せた船は敷根あたりの入り江に入って行きました。その夜はとても静かな夜で月が朧にかかり、水面はどこまでも静かで波一つ立っていませんでした。風が全くないので帆を上げることができませんでした。そこで鱶九郎は手下たちに船を漕がせて桜島と早咲の間の海峡を海潟沖に向けてギッコラ、ギッコラと進めました。しばらく船は静かに進んでいましたが、丁度瀬戸海峡を抜ける頃から急に霧が立ち始め、みるみり内に月も海も すっぽり包み込んでしまい前が全く見えなくなったのでした。

 この瀬戸の海峡は流れも速く溶岩が飛び出したり、かと思うと浅瀬があったりと、とても危険な場所なので、鱶九郎は気が気ではありません。しかし鱶九郎の心配をよそに船はどんどん流されていきます。この霧の中では どっちへ漕いでいいか全く分からなくなり、すっかり困ってしまいました。

みんなが不安と焦りで、ざわめいている中 一人の娘が船の先頭に立ち

「皆さん大丈夫です。私が案内するほうに船を向けてください。きっと助かります。」とみんなに向かって叫びました。その顔は優しく気品に満ち美しい娘でしたのでその不思議な力に包まれたみんなは、この娘の言うことを疑うことなく従いました。船の中にいた鱶九郎も出てきて、その娘の美しさに驚き思わず

「この弁天様の言うとおりにせよ!」と手下に命じました。右に左に娘の案内するほうに船を向け一生懸命漕ぎました。

どのくらい漕いだでしょうか。娘が

「皆さんもうだいじょうぶですよ。流れから出ることができました。そのまま左に船をこいでください。」

みんなは長い時間流れに巻き込まれ、どこをどう漕いだかわからないままだったので藁をもつかむ思いで娘の案内に従ったのでした。こうして不安は ひとまず去りました。しばらく漕いでいると

「近くに島が見えます。岩があちこち飛びだしていますので、気をつけてください。そのうちに霧も晴れてくるでしょうから この島でしばらく待ちましょう。」

 時々船底を擦りながら進んでいくと砂浜が見えてきました。船は砂浜に船底をのめりこませながら止まりました。鱶九郎たちは全員甲板に出て心配そうに外を眺めました。

「みなさん 安心してください。この島の神様が きっと皆さんを助けてくださいます。私は島の様子を ちょっと見てきます。」というと弁財天を祀る神社へと消えてしまいました。鱶九郎は この逃げた娘のことが気になりましたが、この島から出るには この船がなければ出られないので、そのうち帰ってくるだろうと霧が晴れるのを待ちました。手下たちは一晩中船を漕いでいたので、すっかり疲れ見張りだけを残し船のあちこちに横になり眠ってしまいました。見張りは眠い目を擦りながら やっとの思いで起きていました。

霧もだんだん晴れてきて、月の明かりが輝き始めました。一番鳥が鳴き、しばらくすると あちこちでニワトリが鳴き始めました。東の空が明るくなってきました。見張りが ふと左手のほうを見ると対岸の松の木がはっきり見え その陰に4,5艘の船が この島に向かって矢のように近づいてくるのが見えました。弓矢をかざした役人が船の先頭に立っています。見張りは慌てて仲間に知らせましたが役人たちを乗せた船はすぐに鱶九郎一族の船を取り囲んでしまったのです。

そして人さらいたちは一人残らず捕えられ、さらわれた12人の娘たちは全員助けられました。ところがみんなを救ったあの娘の姿がありません。役人たちが手分けをしえ島中を探しました。しかし、くまなく探しても娘は見つかりませんでした。あと残るは弁財天の小さな お社だけです。中を調べてみると その中に像が一体祀られていました。そのお姿を見た娘たちは驚きました。そのお顔が あの娘にそっくりだったのでした。

「このお像の方は あの女の人にそっくりです。」娘たちもそこにいた役人も

「ここの弁財天様がみんなを救ってくださのに違いない。」と口々に言いました。鱶九郎は あの娘が弁財天様とは知らずに偶然呼んだのでしょうが、それが本物の弁財天様だったのでした。娘たちは全員手を合わせ深々と頭を下げました。こうして娘たちは無事親元へ帰されたのでした。

おしまい

弁天島は今では江の島と呼ばれています。安土桃山時代の公家近衛のぶただ公が ここを訪れた時 この入り江の美しさと のぶただ公が棲む相模の国(現在の神奈川県)の江の島に似ていることから ここを何度も訪れ江の島と呼んだそうです。

 

投稿日:2012年09月16日 投稿者:ribbonn コメント数:0件

 遠い、はるか昔の話です。

高隅山脈の主峰、おのがら岳とその西にある かきの山(現在の刀剣山)との間に大きな湖がありました。水の色は どっしりと青黒く底の深さは計りしれません。その本当の深さを知る人は誰一人いません。

 そこに長さ二、三0メートルはあろうかという大蛇が棲んでいて海に千年,河に万年棲んだ後に ここに移り住み しばしば人やけだものを襲い 人々に大層怖がられていました。また この湖の周辺には名馬が一頭住んでいました。この馬は神様のお使いで人の前に姿を見せることはなく山が城温泉の少し手前の左手の大岩に その馬の蹄の跡があったと伝えられていましたが誰も それを見たことはありませんでした。

 世の中が だんだんおさまってくるのにこの大蛇は相変わらず人々やけだものをおどしては苦しめていました。神様はそれをご覧になり大蛇に止めるように諭すのですが、悪さをやめませんでした。そこで神様はひどくお怒りになり、とうとう大蛇を湖底に封じ込めてしまわれました。人々は それは それは喜び神様に感謝しました。

ところが、時がたち平和な日々が続くと だんだん心が緩み悪だくみを考える者も出てきました。そこである日神様は人々を湖水の岸辺に集められました。

「この土地に住む人々が神のみ心に従い、人々には親切に、嘘を言わず仕事に一生懸命性を出し、善良な生活をなすのなら ここに住む神の馬をお前たちにも使わせてやろう。しかし神をないがしろにし、理屈の通らない我儘勝手をするようなら湖底から大蛇を放ってやるぞ。村人よ、心して暮らせ」と戒められました。

 はじめのうちは村人は神の御心に従い善良でしたが年がたつにつれ神様の戒めを忘れてしまいました。人間は神様から与えられた良心をどこに取り逃がしてしまったのでしょう。力の強いものは弱いものをいじめ、豊かなものは貧しいものをさげすみ、人の拓いた土地を我が物にしたり、隣の土地の境界の石を移して自分の土地を広げたり、他人の畑の作物を盗んでおきながら、善良な相手の仕業のように言いふらしたり、全く私利私欲に走りあらゆる罪悪を平気で重ねるようになってしまいました。

 この様子をご覧になられた神様は人間を猛反省させねば人の世はすたれてしまうと、お考えになり夏の末から秋の半ばにかけて雨一滴降らないかんかん日照りの大干ばつをお与えになりました。秋に入る頃になると畑のものは勿論のこと草木まで 殆ど枯れ始めてきました。家畜もそろそろ倒れるものが出るし、村人たちは手の施しようがありませんでした。神の戒めを怠った自分たちの罪には全く気づかず、村人たちは集まり

「もうこうなったら、神様に雨乞いするしかない」ということで湖に集まり ひたすら神に祈り続けました。  しかし人々の心は神に対し素直に従う気持ちも敬いつつしむこともなく、ただ形ばかりの神頼みをして普段の生活は相変わらず私利私欲にふけり、不平不満をいい、果ては神様に対し恨み、罵るものさえ出てきました。神様はそれをご覧になりとても悲しまれ残念に思われました。

村人が雨乞いを始めて幾日か経ったある晩のこと急に空は墨を流したようにまっ黒にかき曇り一陣の強風とともに豪雨が到来しました。村人たちは雨乞いが聞き入れてもらえたと、大喜びしましたが、その豪雨は七日七夜休むことなく降り続きました。そして八日目に黒雲さらに深く空を覆い昼も夜のように暗闇となり雷鳴ゴーゴーと はためき渡りました。果ては暴風が怒り樹木を倒し、砂塵を飛ばして天地は荒れ狂い続けました。

 この時湖の底深く沈んでいた大蛇が ものすごい勢いで水面から空高く舞い上がり雲に飛び乗りました。大蛇が舞い上がった勢いで水がどーっとあふれ出てしまったのです。七日七夜の豪雨で湖は満々と水がたたえられていたので ひとたまりもありません。まず刀剣山の北側が決壊して、山麓の傾斜面に向かって氾濫し山肌をえぐり、大きな岩石や樹木を押し流しました。水は荒れ狂い濁流となって坂巻流れ、家も人も家畜もことごとく跡形もなく流れ去ってしまいました。そこに住む人々はだれ一人生き残ることはありませんでした。

 それから幾千年、幾万年たったことでしょうか。湖は跡かたもなく、今 おのがら岳は本城川の源となり、刀剣山の花崗岩の大岩の中を流れ続けています。そして その周辺には また人々が棲み 山が城、猿が城、新光寺、井川、田神と人々の暮らしが延々と今日まで続いています。

 

 

投稿日:2012年09月16日 投稿者:ribbonn コメント数:0件

垂水の歴史が面白い。その一 「民話」

ひょんなことから FMで「昔話とわらべ歌」をお届けする一員となり

ひょんなことから 垂水の歴史を学ぶ機会を得て

ひょんなことからFMで垂水の民話をお届けするようになりました。

民話は「垂水教育委員会編纂」垂水史資料集(三)民話・伝説 垂水奇話から

聞き取りやすいように言葉を換えて放送します。月1回の割合で約2年はかかると思います。第1回は9月28日(金)8時45分から15分間です。

この民話は この土地に根差したものですから 昔話の出だしの「昔々あるところに…」ではなく垂水の地名や人の名前が出てきます。第1回目は もっとも古い話と題してますから かなり古い話です。内容は神さまの言いつけを守らなっかった村人が洪水で全滅するという話です。今も昔も垂水は洪水で苦しんだんですね。

今読み下しているのは天智天皇(38代)が出てくる話です。今の天皇は125代ですからかなり昔です。

これまでは何気なく通っていた道や 何気なく見つめていた景色が急に身近になり、何百年という長い時間軸の中で今生かされている不思議、又昔の人もこの空、この山を観ながら生活していたのだと思うと悠久の時の流れに触れ、身がぞっくとします。