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りぼん&りぼん
介護日記 フチ”エさん
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投稿日:2015年03月03日 投稿者:ribbonn コメント数:0件

」テレビで 100歳に近いお年寄りが

「お金もいらない。美味しいものもいらない。たった一つしかない命も、もう神様に返したいくらい。

でも…」と続けました。

 

「何にもいらないけど、ただ一つ欲しいものがあるの…」

 

なんだと思いますか?

 

「それは  やさしい言葉が欲しい…」という言葉でした。

 

母の晩年に

私は、やさしい言葉を十分にかけただろうか?

 

母の我儘に、振り回され、つい 強い言葉を返したっけ。

 

そんな次の日は

「今日は、やさしい言葉を かけよう」と思って

「お母さんおはよー!今日は体調はどう?」と優しく声をかけると

母は、昨日の私に腹を立て

プイっ!と横を向きムシします!

 

これの繰り返し…

 

それでも  やさしい言葉をかければ きっと母もやさしい態度で返したでしょうね…。

投稿日:2014年04月21日 投稿者:ribbonn コメント数:0件

恥ずかしい話なんですが

私たち兄弟はとても仲が悪いのです。

 

弟は東京に住んでいます。

今回3回忌のために垂水に来る際

宿泊は鹿児島市内のホテルをあえて予約する

いつもそうです。

けっして我が家へ泊まるのを私が拒否している訳でもなく

市内のホテルのアザレアへの宿泊を手配しても 断られるのです。

 

これが 私の心だけでなく

弟にも心に隔たりがあることを如実に表しています。

 

弟の考え方が価値観が私には全く理解できず

良かれと思って とった行動や発言が

弟にしてみたら

常識の全くない姉!ということで すべて否定されます。

 

そんなこんなで

弟とも疎遠に なっています。

でも今日は母の3回忌です。

弟がやってきます。

気が重いです。

「私はあなたのことが大嫌い。あなたの考えには全くついていけない。」

とはっきり 伝えよう。

と 寸前まで 決心していました。

 

今朝、弟から電話がありました。

受話器を持ったその瞬間まで、その気持ちに変わりは有りませんでした。

ところが 私の発した言葉は、とても柔らかく 笑顔で応対していたのです。

きっと

天国から

両親と夫が 私のことを案じて そうさせたに違いありません。

受話器を置いて、

「えっつ?今 私なんて言ったの?」

自分のこの変貌した態度にビックリです。

 

そこで初めて気づいたのでした。

弟の態度は

私の合わせ鏡だったことを…

きっと これまで 弟を迎える時

すごっく こわばった顔で 言葉にも棘があったのかもしれません、

弟の発言に心から耳を傾け理解しようという姿勢を見せると

弟も 私の言葉に耳を傾けてくれるかもしれない。

そしたら互いに理解しあえるかも…

 

そして

弟は帰って行きました。

互いに笑顔で…

めでたしめでたし

おとうさん、おかあさん、あなた ありがとう。

不思議な力を感じた一日でした。

投稿日:2013年04月22日 投稿者:ribbonn コメント数:4件

今日は母の1周期でした。

 

人様のため、家族のために

心をつくし、それが母の喜びになっていました。

困った方には

温かい手を差し伸べ

喜んでいる方がいれば

我がことのように顔をほころばせる母でした。

 

そんな母と厳格で、誠実な父に

大事に育てられた私と弟

この両親のもとに生まれたこと

その前に二人が出会ってくれたことが

なによりも幸せでした。

母がいなくなって1年

改めて感謝の気持ちでいっぱいです。

 

天国で

父に時々 叱られながら仲睦まじく過ごしているのでしょうか?

母の大の友人が、

骨折のあと、思うように動けなくなり

食事も作れず宅配の食事を取っていること

「なかなか簡単には娑婆を立つことが出来ないね。」

「フジエさんのように、人に迷惑をかけず、朝目が覚めたら、天国へいけたらいいんだけど…」

と、呟いてる声が聞こえますか?

 

天国はどんなところですか?

みなさん行ったら、帰ってこないので

よっぽど いい所なんでしょうね。

私の夫に会うことはありますか?

 

介護をしていた時、

していない今

過ぎていく時間の差がありません。

大変だと思っていた

介護をしていた時間

あれはいったい何だったのでしょう。

介護が無ければどんなに自由なんでしょう。と思っていたのに

その自由さは

思っていたほどのことはありませんでした。

 

母の晩年を一緒に過ごせたこと

絵にかいたような

親孝行の娘では無かったけど

介護させていただけたこと

感謝です、

 

お母さん ありがとう。

心をこめて 静かに ありがとう。

 

 

投稿日:2012年07月24日 投稿者:ribbonn コメント数:0件

になろうとしてドッグフードを毎日食べていたのpооちゃんが、何を間違ったか天使になって天国へ旅立ち(3月12日)、そのことでは落ち込んで、やっと立ち直ろうとしたら、今度はけんか相手のに、ある日突然、天国へ逝かれて(4月22日)しまいました。

そんなこんなで平静を装ってはいるものの、パソコンの前に立つ気もせず、時間だけが過ぎていきました。

そして

やっと、気持ちが日常に戻りました。

母の死因は脳梗塞でした。在宅介護のシステムにもなれ、毎日の体重 血圧測定も順調にできるようになったのに…

死ぬ1時間前までいつもの母でした。介護といってもまだそんなに手がかかるわけでもなく、私とけんかかできるくらいですから…介護度Ⅱでした。

母には

「私を生んでくれてありがとう。

こんな私に育ててくれてありがとう。

あなたの生きざまはしっかり学ばさせていただきました。

垂水へ来て10年いろんな、価値観の違いでお互いに悶々とした日々を過ごしてしまいましたが、あなたとの最期の10年を過ごさせていただいたこと感謝です。

どう生きて、どう死を迎える準備をして、どう死んでいくかを学ばせていただきました。

本当にありがとう。」

母がいるのが当然の日常がある日、だるま落としにあったみたいに母がいない日常に戸惑いましたが、やっとそれにも慣れ、自分の果たす役割をもう一度見つめ新しい日常を創っていきます。

きょうで介護日記は取りあえず終わります。

お母さんと呼べる人がいなくなりました。さびしいね。

お母さんありがとう。

 

投稿日:2012年02月27日 投稿者:ribbonn コメント数:0件

私もそうですが、他人様に接する時の顔と家族に接する顔には、大きな開きが…。 いつもはタイトルのように本当に可愛いフチ”エさんです。

最近朝目覚める時に見た夢を現実と思いこむことが多いようです。先日も「孫がお経を今朝詠んでた。感心だ。」と言い始めました。

叔母と私は「夢を見たんじゃない?」と言うと「そんなことはない!絶対に夢じゃない孫に確かめろ!」とすごい顔をして私たちを睨みつけます。 

                     

勿論そんなことはありませんでした。あの、絶対!と言い張る自信の根拠は何なのでしょうか。他人様にはそれこそ絶対に見せない激しさと、頑固さです。まっ いいか。私も母には他人様に見せるような愛嬌によさはないのだから…。

どこでも、かわいいおばあちゃんでいたいけど、頑張れるかな。ちょっと心配。そうでなくなったら、ごめん。許してね。そうならないように頑張るつもりです。

お母さん教えてくれてありがとう。

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